最近、雨ばっかりだ。降って、少し止んで、また降る。窓の外を見ながら、ふと思う。秋って、こんなんやったっけ。
もちろん、秋には昔から長雨もある。秋雨前線という言葉もあるし、台風が前線を刺激して大雨になることもある。昔の秋を、私が都合よく美化しているだけかもしれない。だから、今日の雨を見て「全部、気候変動のせい」と言うつもりはない。
それでも、身体のほうが「なんか違うな」と言っている。暦では秋なのに、湿った空気の中にはまだ夏が残っている。こんなに雨が続くことや台風の通り道も以前と異なる。季節の境目が、以前より少し読みづらくなったような、妙な感じがする。

馬のいる場所では、天気が低くなる
夕方、馬のお世話へ行く時間になる。このところ不思議なことに、外へ出るころには雨が少し弱くなる日がよくある。晴れ女として心でガッツポーズをしながら「お天道様ありがとぉ」と、わりと本気で思う。笑
馬のいる場所へ行くと、天気予報の画面から見ていた雨が、急に地面まで降りてくる。土の柔らかさ、草の濡れ方、空気の匂い、馬の身体、馬の毛の湿気。晴れの日と同じ場所なのに、世界の触り心地がまるで違う。
私はまだ、馬について勉強中だ。かなり前のめりに。蹄はどうなっているんだろう。雨が続くと身体にはどんな変化があるんだろう。湿度や気温を、馬はどう感じているんだろう。一つ調べると、だいたい三つくらい新しい「なんで?」が出てくる。初心者なのに、マニアックになる速度だけは妙に速い。
馬と関わるようになってから、私は空だけで天気を見なくなった。地面を見る。草を見る。馬の身体を見る。馬の機嫌もよく伺う。天気を見る観察位置が、少し低くなった。
帰り道、ふっと甘い香りがした。金木犀だった。

少し低くなった。BEERSROBERT000 / HORSE RUNNING / 2012 / CC0 1.0
「あ。秋や。」
季節は、香りのほうから来る
朝から雨を眺め、画面の中では世界のニュースや市場やDigital Museumのことを考えていたのに、季節のほうは香りひとつで知らせてくる。カレンダーより早い。こういう瞬間が、私は好きだ。
季節は、日付だけでやって来るものではないのかもしれない。匂い、風、虫の声、空気の湿り方、肌へ触れたときの温度。身体のほうが先に「あ、変わった」と気づく。 二十四節気や昔の暦がおもしろいのも、たぶんそこだ。数字だけではなく、空や植物や動物を見て積み重ねた、暮らしの観察記録だったのだろう。
鰯雲を見て、秋刀魚を思う
秋の空に、魚の鱗のような小さな雲が並ぶことがある。あれを見ると私は「ああ、秋だなあ」より先に、「ああ、美味しい秋刀魚が食べたい」と思う。鰯雲なのに、秋刀魚。風情はどこへ行った。笑
でも、秋刀魚もまた旬の季節だ。昔なら「秋になったら秋刀魚」と、もっと単純に思っていた。いまは値段や漁獲のニュースを見ると、一匹の向こうに海水温、海流、魚の移動、漁業、燃料、流通まで見えてくる。食卓へ一匹の魚が来るまでに、思っていたよりずっと多くの関係がある。そして、落語を聴きたくなる。
全部、同じ一日の中にある
そう考えると、雨も、馬も、金木犀も、秋刀魚も、別々の話ではなくなってくる。気候の話をしていたはずが、馬の蹄へ行き、香りへ行き、最後には晩ごはんへ着地する。Digital Museumを作りながら、私がおもしろいと思っているのも、たぶんこういうところだ。キリがない。
世界は、最初からカテゴリー別に暮らしていない。人間があとから名前をつけ、棚へ分けているだけで、Lifeの側では全部いっぺんにやって来る。
家へ戻り、またパソコンを開く。さあ、Digital Museumの続きを——と思っている、その机の下には猫がいる。世界の関係性について考えていたら、足の指を齧られた。痛い。
雨。馬。金木犀。秋刀魚。猫。大きな白い犬。Digital Museum。今日は全部、同じ一日の中にある。
さて。秋刀魚、買いに行こ。笑