法の前で、頭を下げなかった人

凍結されるのは、銀行口座だけではない。

米国の制裁対象になると、米国内の資産は凍結され、米国人や米国企業との取引は原則として禁じられる。ドルを経由する送金、カード、クラウドサービス、航空券、ホテル。世界の金融とデジタル基盤が米国企業に深くつながる現在、制裁は国境を越えて一人の日常へ入ってくる。

2026年8月、トランプ政権は国際刑事裁判所——ICCの所長、赤根智子裁判官を制裁対象に指定した。

赤根さんは、日本人である。けれど、この話を「海外で活躍する日本人がひどい目に遭った」という物語だけにしてはいけない。

制裁されたのは、一人の裁判官であると同時に、大国の指導者であっても法の外には置かないという考え方そのものだった。

CASE FILE / 法が試されている場所

THE COURTICCは国家を裁くのではなく、重大犯罪について個人の刑事責任を問う。THE PRESSURE判断に関わる裁判官や職員の生活へ、金融制裁が及ぶ。THE QUESTION友好国による圧力にも、同じ法の基準を求められるか。

裁判官を裁く権力

ICCは、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪について、国家が捜査・訴追できない、あるいはその意思を持たないときに責任を問うための常設裁判所である。

強い軍隊も、警察も持たない。容疑者の逮捕は加盟国の協力に依存する。大国の拒絶を押し切る万能の法廷ではない。それでも、被害者が国内で声を奪われたとき、最後に扉を叩ける場所の一つである。

米国もイスラエルもICC規程の締約国ではない。米国政府は、非締約国の国民を裁こうとするICCには正当な管轄権がないと主張してきた。ICC側は、犯罪が締約国であるパレスチナの領域で行われた場合などには管轄が成立すると考える。

ここには、本来なら法廷と外交で争うべき重大な法的論点がある。

だがトランプ政権が選んだのは、判断を批判するだけではなく、その判断に関わる裁判官、検察官、職員の生活を制裁で締め上げることだった。2026年8月時点で、ICCの18人の裁判官のうち9人、2人の次席検察官、前主任検察官、職員らが米国の制裁対象になったとICCは発表している。

判決が気に入らないから裁判官を罰する。

それが許されれば、法は権力を抑えるものではなく、権力が従わせるものになる。

「私には、制裁を受ける理由がない」

赤根さんは、声を荒らげなかった。

オンライン会見で、「私については制裁を受ける理由は全くない」と述べ、不公正な扱いには抗うと話した。ICCも「いかなる圧力にも屈しない」と声明を出した。

この凛とした姿は、勇ましい強さとは違う。

相手を侮辱しない。自分を被害者として劇的に演出しない。法に与えられた役割と、自分がその役割を離れない理由を静かに話す。

制裁を受ければ、恐ろしくないはずがない。自分だけでなく、職員、証人、被害者、家族、協力者へ影響が及ぶ。制度そのものが資金、決済、情報基盤から切り離される可能性もある。

それでも席を立たない。

INDEPENDENCE / 独立法の強さは、声の大きさではない。脅されたときにも、同じ手続きを続けられることにある。

法の強さは、命令する声の大きさではない。脅されたときにも、同じ手続きを、同じ基準で続けることにある。

日本政府は、何を守ったのか

日本はICCの主要な支援国であり、長く最大級の分担金拠出国でもある。赤根さんは2024年、日本人として初めてICC所長に就任した。

高市首相は2026年1月に赤根所長と会い、ICCと赤根さんを力強く支援すると述べた。制裁後には、米国の措置は日本の立場と相いれず、深刻に受け止めていると発言した。金融取引が困難になる事態を想定し、事前に手続きを助言したとも説明している。

それは無意味ではない。一人の日本人を現実の被害から守ろうとした行動は、行動として評価すべきである。

しかし、問いは残る。

79か国・地域が米国のICC制裁を非難した共同声明に、日本は参加しなかった。国連総会で高市首相はICC支持を語ったが、赤根所長への制裁を名指ししなかった。トランプ大統領との会談についても「率直にやり取りした」とする一方、何を要求し、米側がどう答えたかは公表されていない。

個人の生活を守る準備はする。けれど、その人を制裁した同盟国へ、公開の場で撤回を迫ることは避ける。

これは配慮なのか。現実的な外交なのか。それとも、法の支配より同盟関係の機嫌を優先した沈黙なのか。

赤根さん自身は「日本が圧力に負けるか世界が見ている」と語った。

見られているのは、日本人裁判官を助けるかだけではない。日本が敵国へ向けるときと同じ強さで、同盟国にも法を求められるかである。

友人にも法を求められるか

「法の支配」は、日本政府の外交演説に何度も現れる。

ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の核・ミサイル、中国による力を背景にした現状変更。日本は、法と国際秩序を守れと訴える。

その原則は正しい。

だが、原則の重さは、敵に適用したときには測れない。友人に適用したときに初めて分かる。

米国が裁判官へ経済制裁を科し、イスラエルの指導者に対する捜査や逮捕状を取り下げるよう圧力をかける。そのとき日本が「残念」「意思疎通を続ける」とだけ答えるなら、法の支配は誰に向けた言葉なのだろう。

同盟とは、相手の行為をすべて支持する契約ではない。本当に価値を共有するなら、その価値から外れたときに異議を唱える責任も共有するはずだ。

反対できない親密さは、友情ではない。依存である。

ICCは正義そのものではない

だからといって、ICCを無謬の正義として飾るべきでもない。

逮捕を加盟国に依存し、捜査地域の偏りを批判され、手続きに長い時間がかかる。大国が加盟せず、弱い国だけが裁かれるという不均衡も繰り返し指摘されてきた。裁判所の判断は批判され、検証されなければならない。

しかし、不完全な裁判所を批判することと、裁判官の生活を制裁して判断を変えさせることは別である。

制度に欠陥があるなら、証拠と議論で直す。判決に異議があるなら、法的手続きで争う。権力による個人制裁で沈黙させれば、残るのは改善された司法ではなく、強国に逆らわない司法だ。

ICCを守るとは、ICCのすべての判断へ賛成することではない。裁判所が権力から独立して判断できる条件を守ることである。

ノーベル平和賞は、誰のためか

2026年9月、オスロ国際平和研究所——PRIOは、ICCと国際司法裁判所をノーベル平和賞の有力候補として挙げた。

これはノーベル委員会による公式発表ではない。推薦者と候補者の情報は原則50年間非公開であり、PRIOのリストは研究所による予想である。

それでも、この時期にICCの名が挙がる意味は小さくない。

平和賞を一人の英雄へ与えるのではなく、権力者を法の外へ置かない仕組みへ与える。戦争を止める華々しい握手だけでなく、戦争犯罪の証拠を集め、証人を守り、長い手続きを続ける地味な仕事を平和として評価する。

それは、平和を善意や祈りだけにしない選択である。

賞を受ければICCが完全になるわけではない。だが、制裁によって孤立させられた裁判官と職員へ、「世界は見ている」と反対方向から返すことにはなる。

法が必要なのは、弱い人のためだけではない

法律は、弱い人を従わせるためなら、なくても権力だけで足りる。

法が本当に必要になるのは、力のある者へ限界を示すときだ。

大統領にも。首相にも。軍司令官にも。国家にも。同盟国にも。

そして、法を適用したために裁判官が罰せられるなら、次に沈黙するのは裁判官だけではない。銀行、研究者、記者、人権団体、被害者、証人。制裁へ巻き込まれることを恐れ、裁判所に近づく人が減っていく。

赤根智子さんの姿が静かに強く見えるのは、彼女が恐れを知らないからではないだろう。

恐れがあっても、法廷の椅子を空けないからだ。

世界が見ている。

米国が何をするか。日本政府がどこまで言えるか。そして私たちが、「難しい外交だから仕方がない」という言葉で、法が削られていく音を聞き流すのか。

法の前で頭を下げなかった一人を称えるだけでは、まだ足りない。

彼女が一人で立たなくてよい制度を、国家と市民が守れるか。それが、こちら側へ返された問いである。

WHAT MUST STAY SEPARATE / 分けて考える

CRITICISM裁判所の判断や制度を、証拠と言葉で批判する。APPEAL法的手続きによって判断を争う。INTIMIDATION個人の生活を制裁し、判断を変えさせる。

MICHIKUSA / NEXT WINDOWS

SOURCE DESK

制裁の法的評価、ICCの管轄、日米間の非公開協議については、確認できる公式声明の範囲を越えて断定しない。ノーベル平和賞については「正式候補」とせず、PRIOが有力候補として予想した事実として扱う。